どうも。
ととのいべやのいまこです。
前回豚丼先輩との馴れ初めを書かせてもらったのですが、嬉しいことに面白いと周りから反響をいただきました。
意図していないことが意外と面白いことだったりするんですよね。

そこで今回は、自分のしょうもない生い立ち企画第2段ということで
【なんで会社員を辞めて豚丼先輩に付いていこうと思ったか】
について書いていけたらなと思います。
・前職(無印良品)の先輩
・約2年キッチンカーでドライカレーを販売
・同時にイベント(マルシェ)の運営を行う
・山口県出身
↑山口県民が愛知県刈谷市の街づくりに貢献していることが面白い
こんな感じの人です。
言わばフリーランスとして活動しています。
でたなフリーランス!
フリーランスって普通じゃないとか生活大丈夫かって思われがちですよね。
自分も思っていました。
そんな先輩と一緒に仕事がしたいと思えたのです。
付いていったら自分の求める何かが見つかるかもしれないと思っちゃったのです。
正直この選んだ道に
「うわあやっちまった〜戻れるなら戻りてえ〜」
と何度も思っては
「選んじまったもんはしょうがない、しょうがないんだ」
と言い聞かせている毎日を過ごしています。
今は不安な気持ちが勝っていても、何十年と先に人生を振り返ったタイミングでは
「この道を選んでよかったなー」
と胸を張って思いたいです。
そうじゃなきゃマジで報われない!
失ったものがデカすぎる!(個人的な話)
前置きが長くなってしまいすいません。
本題に入ります。
第一のモヤモヤ
2020年に新卒として社会人デビューを果たしたわけですが、入社した会社の仕事は本当にやりたかった仕事ではなかったし、そもそもやりたい仕事が何なのかわからない状態でした。
現代においてこんな話はよくあることですよね。
社会人になりました!
と言うよりかは、
社会人になってしまいました!
って感じです。
そんな意識低い系の社会人ですが、仕事をしていくと無意識に責任感ややりがいを抱くようになりました。
仕事自体は楽しかったし、職場の雰囲気も好きでした。
でも何か仕事に対するモヤモヤ感があって、この時は
「やりたい仕事じゃないからだ!やりたい仕事を見つけよう!」
と思い、転職を決意しました。(土日休みじゃなかったなどもありますが)
やりたい仕事が見つかればこのモヤモヤも晴れて、これからの仕事ライフを充実できると思い込んでいたのです。
やりたい仕事が見つかれば、、
やりたい仕事はきっとこの道だ!
やりたいことって何だろうと考えた時に文章を書くことが好きだなと思いました。
雑誌のプチコラムなどを読むことが好きで、いつか自分も記事を書いてみたいと密かに思っていたことがあります。
書く行為自体は苦手分野なので仕事にすることは難しい気がしましたが、やりたいことの軸で考えた時に
「書く仕事がやりたい!」
と直感的に思えました。
書く仕事を調べる中でWEBライターという職種を見つけました。
働く場所、時間を自由に決めて働けることに魅力を感じて
「将来はライターとして独立しよう!(めっちゃ浅はか)」
と目標を立てました。
しかしいきなりフリーで活動することはリスクある行為なので、まずはライターとしての実績が欲しいと思い、愛知県でライターの職種を探したところ1社ヒットしました。
その会社もちょうど応募を始めたばかりで運命的な出会いを果たしたのです。
ガチャ運とかくじ運はないんですけど、新しく何か始めようとした時にだいたい物事がスイスイ進むんですよね。
きっと運がいい方なんだと思います。
そんなんだからどんな物事も何とかなる精神で済ませちゃうようになったのですが、、
こうしてライターの会社に応募して、見事内定が決まりました。
その会社は機械系の専門誌を発刊する会社で、自分は編集部に配属されました。
機械系の会社の人と会い、取材をして記事にする。
業務内容的にとてもやりたいことに近かったですが懸念点としては、マジで機械について興味がないということ。
今回転職するにあたって転職エージェントを利用したのですが、その方に
「機械についてマジで興味ないんですけど大丈夫ですかね、、?」
と相談をしました。
エージェントの方は
「愛知県でライターの募集がほぼないですし、今は個人的なスキルアップをして次に繋げる(転職orフリーで活動)が時代にも合っているかと思います」
とアドバイスをくれました。
自分も100%同感で、マジで機械について興味ないけど運命的な出会いだったし、経験を積むためにもまずはここから頑張ろうと思えました。
機械についてはマジで興味ないけど(n回目)進むべき道はこれで間違いないと確信していました。
第二のモヤモヤ
晴れてライターへの道を進んだわけですがやっぱり機械について興味を抱くことはなく、これからも抱くことはないと悟りました。
それでも今後のキャリアアップのためにと何とかモチベーションを保っていました。
新しい仕事が始まって将来像を見つけられてやりたいことができているのに、なぜかモヤモヤは晴れないまま。
「あれ?社会人の働き方自体に納得いってないんじゃない?」
毎日同じ時間に出退勤をして、毎月同じ給料をもらって。
世間一般的にこれを普通と呼ぶのかもしれませんが、この生活リズムに対してずっと違和感を抱きながらこれが普通だからと自分に言い聞かせて日々を過ごしていました。
そんな生活をしていたらあっという間に4年が経ちました。
きっとこの生活を続けていたら自由に働くこともお金持ちになることもできずにじじいになってしまうのだろうと怖くなりました。
ロバート・キヨサキ著の金持ち父さん貧乏父さんという本の中にこんなキーワードがあります。
会社員としての生活はラットレースに参加させられているようなものだ。
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毎月一定の収入がある分、それと同様に毎月同じ金額の支出がある。
仕事を頑張って収入が上がったと思えば、結婚して子供ができれば支出も上がる。
この生活が当たり前だと思いこみ、無意識のうちにこの無限ループのラットレースに参加させられていることに気づいてしまったのです。
何か行動を起こさなきゃあっという間にじじいになってしまうという恐怖が、3ヶ月で退職することを後押ししました。
さすがに極端すぎる選択だったかもしれませんが、自分はそれくらい極端な行動をしなければ変われません。
仕事をしながら副業をする余裕なんてないと思ったし、やると決めて何も変わらずまた4年が経つことが目に見えていたから熱量があるうちに退職して正解だったと思っています。
どうせ辞めることが決まっている会社に何年も勤めるより、今からフリーでライター活動することの方が価値のある時間の使い方だと判断しました。
もちろんこの選択をしたことで反対の意見があることもわかっています。
たくさん迷惑をかけた方もいれば、心配のメッセージをくれた方もいます。
それでも普通の行動から若いうちに抜け出したかったのです。
そして勘違いしてほしくないのは社会人として仕事をしている方を卑下しているつもりは全くないということ。
人の価値観は人口分だけ違うと思います。
ラットレースに参加させられているという表現に対して、抱えていたモヤモヤの原因がわかった自分みたいな人もいれば、それが幸せだと捉える人もいると思っています。
赤裸々に話せば、フリーで活動を始めて収入は社会人時代より下がっています。
現状の自分は、ラットレースにすら参加できていないドブネズミなんです!!!!
もちろんずっとドブネズミでいたいわけないですし、最初に話したようにこの選択をしてよかったと思えなきゃマジで報われません。
お金持ちになりたいですが自分はそこまで欲深い人間じゃないので、自由な働き方で一般的な収入を得られるようになれば幸せです。(充分欲深いのか?)
将来の夢は、海が近い地域にサウナ付きの平屋を建てることです。(充分欲深いな)
そんな場所で仕事ができるならマジでこの道を選んでよかったなと思えることでしょう。
そんな矢先に豚丼先輩から一緒に働かないかと声をかけてもらったのです。
先は不透明でもワクワクがある
※今まで豚丼先輩と呼んでいましたが豚丼を始めたのはここ最近のことで、元々はドライカレー兼おでん先輩でした。
訳あってドライカレーから豚丼に商材を切り替えていたのですが、またドライカレーとおでんの販売が再開できそうなので(豚丼も辞める訳ではないです)今更ですが以後は普通に先輩と呼びます。
先輩から声をかけてもらったのは刈谷市で開かれたマルシェ【lien-リアン】のボランティアスタッフとして参加した時でした。
ボランティアとしては何回か参加したことがあって、一緒に働こうと言われるまではお世話になっている先輩からの頼まれごとだったから手伝おうって感じで、先輩がやっていることに対して深く考えずに参加していました。
マルシェ自体すごく雰囲気が良くて、穏やかな時間を過ごせる空間を1から創出していることが、もしかして先輩ってすごいことしているんじゃないかとここでやっと尊敬の念が芽生えました。(もちろん無印時代から尊敬していましたよ!)
一緒に働こうと言われたタイミングが自分もフリーでの活動を決めた時だったし、その傍らで先輩のサポートができると思いました。
何より先輩のマルシェを通してまちづくりに貢献したいという熱い想いにワクワクしたし、一緒に活動すれば今書いているような執筆のネタになる気がしました。
先は不透明。
それでもお互いのケツを叩き合って切磋琢磨できる関係性を築いていくために、もう一度一緒に働くことを決めたのです。
まとめ
転職先を3ヶ月で辞めた心境としては、まだこの道を選んで良かったかどうかはわからないけど、【この道を選んで良かったと思えるように行動し続けよう】とそんなところでしょうか。
脳死で働いていた時より思考力が上がりました。
それだけでも毎日充実した生活が送れている気がします。
実際に妹から、
「なんか毎日楽しそうだね」
と言われた時は嬉しかったし、顔つきに現れるんだと実感しました。
転職先を3ヶ月で辞めたからって全てが終わる訳じゃありません。
それぞれに合ったフィールドやペースでそれなりに頑張ればなんとかなるんだと身をもって感じました。
そんな人生確実に1週目の自分がぼやいた内容のブログでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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